仕事:怒り・もやもやをポジティブ変換する。これも一種のアンガーマネジメント
連休で時間あるのでずっともやもやしていることを書きだしてみます。
仕事でチャンスが巡った来たのですが、社内の信頼がおける人にオフレコで話しました。(まぁ進んで話したというよりは誘導尋問に引っかかったのですが。)そして返って来た反応に怒りを感じたという話です。
折角なので、、アンガーマネジメントを実践してみようと思います。まぁ、テキストチャットで言われたので、6秒待つ必要があるとかそれほど瞬間沸騰的な怒りではないですが、持続する怒りです。…困ったことに。
◆何故私はこの発言にもやもやするのか?
- 私の能力に対する本音がわかった。
- 普段の言動をそもそも快く思っていないかった。
- 私自身が彼を認めていない。
- 応援して欲しかった
◆ポジティブ変換
- 私の能力に対する本音がわかった。
発奮材料とする。チャンスに見合うだけの実力が私についていないのも事実。今回の件は今後の発奮材料とする。(「今に見てろよ」という気持ちを忘れないためにチャットをキャプチャして携帯に保存。普段から見れるようにしました。)
- 普段の言動をそもそも快く思っていないかった。
反面教師とする。ヘッドハンティングされてウチの会社に入った人で実力はあります。(年齢も大分上)たまたま社外に共通の知人がいるため親しくなりました。多分その人にとっては、私はウチの会社で最も本音を語れる相手でしょう。
これまででもやもやする点は、基本は上から目線。ウチの会社のメンバーもよくないところはありますが、それでも啓発点の指摘があまり的を得ていない気がする。改善点とのセットがない批判だけだったり、で組織人のふるまいとして未熟さを感じてしまう。自信過剰は物事を見る目を曇らせてしまう。
反面教師だと思うようにしよう。(…まぁここまで書いてて、私はどうなんだ?とブーメラン来ますが)
- 私自身がその人を認めていない。
私もその人に対して上から目線だった。上の点と地続きですが、その人から繰り出される個人や体制の批判は美しくない。視点が低い、ワンサイドからだけしか見えていない。こんな風に無意識に私もその人を上から目線で見ていたのです。上から目線って基本受け手によって感じられるものなので、自分で気づけてよかったと思います。
- 応援して欲しかった。
他人に一方的に期待しない。年長者は若手(まぁ私は若くはないですが)を応援すべきという勝手な期待を抱き過ぎた。
◆今後どんな風に付き合うか
・怒りを伝える?→自己嫌悪に陥るリスクを冒してまでやることではない。
・心理的に距離を置く。→こちらからのコンタクトは必要最小限。ただし相手からのコンタクトにはこれまで通り礼儀正しく振る舞う。
・いい発奮材料をもらえたと思うようにする。
まぁ、文字にして眺めると、うん、私はもやもやしているというか、、やはり怒ってますね。ふつふつと怒っています。このような怒りの感情を持つのは仕方ない。誘導尋問に引っかかった私も悪いし、期待し過ぎた。相手が自分をどんな風に思っているかなんてこちらではコントロール出来ないですし。そして相手もフォローして来たくらいなので、言い過ぎたとか見当違いの上から目線のコメントしたことの自覚もあるのでしょう。
…そして多分嫉妬もあったんだと思います。なので、嫉妬されているくらい魅力的なチャンスが巡って来たと思うようにします。このチャンスを絶対ものにしようと勉強に励む連休の午前中でした。
読書:40歳からの「転職格差」まだ間に合う人、もう手遅れの人
世間はゴールデンウィークです。…いえ。私も連休楽しんでいます。食べて飲んで読んで運動して…、5月中旬に海外行くためたまに仕事。
ビジネス書らしいセンセーショナルなタイトルですが(笑)、中年からのキャリア論です。
◆自分のものさし
一般的な「転職の成功」とは「年収アップ」「役職アップ」「会社の知名度アップ」ですが、これらすべてを満足する転職は40歳以降はなかなか難しい。そんな中で、40歳以降が転職で持つべき視点に、働く上で自分の心が満たされることは何なのか、自分がいかに機嫌よく働き続けられるか、という問いを持ち続けることがあるとのこと。自分自身で定義すること。今後の生き方に、自分のものさし、他者との比較ではなく絶対的なものが必要なのは、転職に限らずいえることだと思います。
◆「子ども」の転職からの脱却
自分を良く知ってもらいたいと思うならば、まずは相手(会社)のことを良く知ることが大切。
大人の転職「HPを拝見して、御社はこのような強みで、今後このような戦略で業績拡大していこうと考えられているのではないでしょうか。私なりに勝手に考えてみました。間違えていたらすみません。」
子どもの転職「私はこれとこれをやって来ました。採用して下さい。給料はいくら欲しいです。」
…つまるところ大人の転職作法とは、人間関係の構築の仕方にも通じるものがあると思います。
専門スキルを持った個人事業主としてキャリアを構築すること。会社を辞める必要はなく、自分の仕事の「契約内容」や「成果」「価格」といったことを考えることで仮想的に挑戦を始めてみる。これにより働き方のスタンスを自律的なものに切り替える。なるほど、と思う点ですね。社会の中での自走性が大事で、キャリアを自律的に考える。これからの年齢で考えていかなければならないと思います。本では「己の才能に対して失礼な生き方をしていないか」と問うこと、と。まぁ、そもそも自分に才能ってあるの?って思ってはダメなんですよね。20年弱積み上げてきたキャリアの中、自分の何に対して対価を得て来たかを深堀している年代になって来たと思います。
◆ポータブルスキル
専門性に加えて持つべきポータブルスキルとして、「仕事の仕方(いわゆるPDCAです)」と「人とのかかわり方(コミュニケーションスキルです)」を軸に定義されています。自分のキャリアの棚卸の際に使える軸だと思います。例えば、なぜこのプロジェクトが成功したのか?なぜ成果があげられたのか?この理由付けポータブルスキルの軸で見て行くことですね。
40にして惑わず。。。まぁ、、そんなことはない、生涯惑い続けるだろう…と、最近齢を重ねた私は思うのです。
徒然:理系か文系か?敢えて言えば理系は、、、
先日久しぶりに「リケジョだね」と言われました。リケジョ、理系女子。まぁ私が女子という年齢かどうかはおいといて、この言葉は極めて日本人的でだと思います。
理系と文系の違いを語りたがるのも、専攻にジェンダーを入れて珍しがるのも。そしてちょっと安易にレッテルを貼って分類するのも。(属性へのラベル付けとかレッテル貼りとかをテーマに過去何回か書いて来ましたが)やたらと理系とか文系を語りたがる人は「文系」の人や、理系を自ら特別視する「理系」に多い。真剣に話題には加わりませんが、好きにしたらといいとは思います。
前の部署で一生分?「リケジョ」とか「はりこは理系だから」と言われて来ましたが、その区分けが大きな意味を持たないことを知っているのが理系だと思います。だって周囲のイメージ、期待?ほど論理的でも数字好きでもないですからね。
単なる大学での専攻や職種の区分けだけの問題。理系だから論理的思考に優れているわけでもないし、文系だから数理的思考がない訳ではない。仕事を始めるとそんなボーダーは何の意味もなさない。論理的思考も情緒的考察も数的推理も…仕事だけでなく日常でもいるものでしょう。
ちなみに理系と呼ばれる人はオタク気質が多いと思います。私もそうです。好きなことやこだわりたいことへの追求が結構しつこい。端から見るとかなりどうでもいいことでも。でも仕方ないんです。本人は気になっているから、その追求が好きだから。電車の路線図とか梅酒の漬込酒毎の出来上がりの速さとかプロ野球の順位表の数字の並びとか(写真は美しいですね。…阪神が最下位である以外は。今はもっとひどいことになってますが。)、よほど趣味が同じくする人以外からは、「どうでもいいがな」と言われます。でもいいんです。他人に理解してもらおうって思ってないもの。
そして当時女子学生比率10%の工学部卒のいわゆる理系(元)女子から「リケジョ」に共通しがちな特徴を敢えて述べますと、、、
デリカシーがない。
もちろん私もです。相対的にデリカシーがないです。年齢的なものもありますが、昔からこれは自覚している。私はデリカシーがないんです。…なので、同僚よ、、求めないで、、デリカシーを、私に。
読書:じゃ、また世界のどこかで。
読書ターンなのでビジネス書について書こうかと思いましたが、、なんか月曜から仕事で疲れることばかりだったので無意識に癒しをもとめてこのフォトエッセイ集を取り上げます。
旅行が好きでコロナ禍以前(、、というよりMBA以前か)は、気がむいたベースでふらふら海外に行っておりました。
例えば転職などで大量の有休消化が発生したら世界一周航空券で2週間で世界一周旅行しようとか、行先のシュミレーションしたり、妄想旅行です。
まぁ、MBAが終わった今となっても海外にはなかなか気軽に行けないこのご時世ですが。
コロナ禍以前に世界一周したフォトグラファーのエッセイ集です。エッセイ自体は「若者!」といった感じで、いわゆる貧乏旅でのアクシデントもネタに出来るエネルギッシュさに溢れています。
旅で出会った人の笑顔の写真を撮って、その場でチェキを贈るといった活動をされており、色んな国の色んな民族、色んな人がカメラに向けたたくさんの笑顔がおさまっています。
世界の絶景の写真集もいいけれど、こんな風に笑顔ばかりの写真を見ると、人も人類も美しいな、と純粋に感動してしまいます。
写真家としてのテクニックは素人の私にはわかりませんが、こんな風に見る人を揺さぶる写真を撮れる人をアーティストというのかもしれませんね。
この方の写真展にも行って何枚か色彩豊かな写真を購入して、今、ワークデスク横のボードに飾っています。
奇しくもそのうちの一枚はウクライナの「愛のトンネル」(緑色の写真です)。どうぞ早く世界が元の平和に戻りますように、と願わずにはいられない月曜の夜でした。
徒然:52のWish list - Pursue something new!
10年以上前に同僚から聴いた話。その同僚は毎年52個新しいことに取り組むようにしているとのこと。
1年は大体52週なので、1週間にひとつ新しいことに触れて自分をアップデートするんだと。いい話だな、と思いまして、それから私も毎年手帳に52のwish listを記しています。それももう13年目。
その話を聞いた当時、とにかく激務で平日の疲れから週末廃人していました。何かしら予定を入れないと土日はずっと寝てばかり。それならまだいい方で、無償で土日に会社で仕事することも多く、そうでなくても土日自宅に仕事を持ち帰ることも多かった。働き方改革以前のそんな時代だったんです。でも当時はアラウンド30。周囲が人生の階段を上る中、プライベートが充実していないことに猛烈な焦りもありました。mixiやfacebookも登場し始めて、人並みにキラキラしたかったんです、私も。当時は。
まぁ、そんな昔話はおいといて、この2022年もやはり52のリストは作っています。基本は新しいことを52ピックアップ出来たらいいのですが、最近はwish listになっていますね。
・本を52冊読了する。
・マイカーで1泊越県旅する。
・眼鏡を新調する。
・5年以上会っていない人と再会する。
・文楽を観る
・ボランティア活動に参加する。
・ミシュラン星付きのレストランに行く。
・ボストンで同期に会う。
・箱根の美術館に行く。
・キャンピングカーフェアに行く。
…こんな感じです。些細なことから本当に「New!」なことまで。今現在で10個DONEなんです。この2年はコロナ禍やMBAもあってなかなかList消化率があがりませんでした。まぁ誰に強制されるものでもないので、消化率が低くてもいいのですが、消化率が低い年はやはりなんだかもやもやしまくっている1年なんです。
今年は気力体力充実した1年に出来そうだな、と四半期過ぎた今、思っています。
写真は洋書のthe wish list。6000もの色んなWishが書かれています。デッサンを習う。スープキッチンでボランティアをする。ダライラマに会う。愛の詩を創作する。マチュピチュで日没を見る。壮大なものから些細なものまで。落ち込んだ時にそんな様々なWishを読んで、日常の彩りを取り戻そうとしたものです。人生は自分のものであり、豊かな人生を送るためのささやかで壮大なwishとちっちゃな野望を持ち続ける人生でありたいなぁ、と思うのです。
読書:1万人の失敗談からわかった人生の法則 40代を後悔しない50のリスト
1月に転職すべきかどうかを悩んでいた時に片っ端からいわゆる「生き方」本を読みました。その時の1冊です。
よく言われることに、受験の合格体験記の通りにやっても必ずしも合格はしないが、不合格体験記の通りにやると結構な確率で合格しない。
つまりうまくいったことは属人的ですが、うまくいかなった要素は普遍的なものがあると思います。さぁ、人生の先輩達は40代の過ごし方にどんな後悔を持っているのか?
以下抜粋です。
- 仕事に追われて「すべきこと」ばかりやっていた。
→毎週ドキドキする「ゴール」を設定する。
- 自分が「何を成し遂げたか」がわからなくなった。
→40代は中だるみを引き起こしやすい時期。負荷をかけないと自分の本物の力は引き出されない。
- 「人を動かすスキル」を身に付けなかった。
→部下の「モチベーション」をマネジメントすることを早いうちから意識し学ぶ。
- 判断力が身につかなかった。
→意思決定は感覚的ではなく「定量的」に行う習慣をつける。
- 「優先順位」を間違えてしまった。
組織における仕事は「業務」(*いわゆるルーティン)と「職務」(*会社や部門のために貢献する仕事)に分けられる。
→40代は「業務」と「職務」のウエイトの中でバランスを取っていくことが求められる。
- 年下との人間関係を大切にしなかった。
→マネジメントスキル向上のためには、年下とのやり取りの蓄積がまるで臨床実験のように不可欠。後進との人間関係が自分の成長にも直結する。
- 経営者的な視点で物事をとらえることが出来なかった。
→現場の実務に詳しいことは当たり前。メンバーや業務のマネジメント出来ることに加え経営的な俯瞰支店と3年後5年後を見据えたビジョン構築力が求められている。人的ネットワークの質がものをいう。
- コミュニケーション能力に欠けていた。舌禍。
→言葉で全てが伝わるとは限らない。コミュニケーションによる齟齬が仕事上の最大の障害になることもあり得る。沈黙や態度、表情のノンバーバルコミュニケーションに加えて、相手に自分の想いや意思を的確に伝えるよう心がける。
- もっと勉強しておけばよかった。
→色んな本をやみくもに読むよりは「ばっかり読み」もひとつの手。最大公約的に重要なことが把握できるようになる。テーマのエッセンス(その分野のコアとなる中核要素)が掴める。
- もっと読書していればよかった。
→本は「言葉探し」のために読む。言葉という実弾をたくさん持つこと。
- 上司の能力を積算しておけばよかった。
→その上司が現在の組織の中でどこまで登れる人物なのかを積算しておきます。上司がどのような意思決定の基準を持っているか。(例:コスト?新しい価値?効率?メンバーの成長?)この基準に対する察知能力を磨くこと。力ない上司はこの「意思決定の基準」がぶれる。
- 話す力をつけていればよかった。
→キーワード、キーフレーズ、エピソードの「三段論法」で話すクセをつける。
ちなみに私はパートナーありの独身かつ女性なので、家庭との向き合い方についての男性的な目線での後悔は特にピックアップしませんでした。
私自身は後悔を否定しません。それこそが改善や成長のための推進力にもなるから。どんな成功者でも後悔の無い人生なんてないでしょう。ただ後悔の総量は少ない人生にしたいと思います。