はったり日記

はったりだけで生きて来ました…。三十代半ばになって、自分の空っぽさにうなだれている残念女子の日記です。…そもそももう「女子」ではない。

徒然:高い自己肯定感こそが不確実性の時代を生き残る唯一の武器かもしれない。(と英語を日常会話で使う是非について)

セルフエスティームこそがVUCAをサバイブする唯一のウェポンかもしれない。

 

外資系が嫌われる要因のひとつに日本語での会話でも英単語を入れる点があるかと思います。昔はイラっとしてましたね。小馬鹿にされているような気がして…。被害妄想ですが。そして外資系にそれなり浸かってみると、英語じゃないと伝えれないニュアンスがある。言葉のニュアンスがぴったり合う対訳ってなかなかない。…ものだと今は思います。

 

昔の上司で「俺ってすごい」系の人がいました。「みんな俺のこと尊敬している」「みんな俺の話を聴きたがっている」「みんな俺のチルドレン」…私がどう思っていたか?そうですね。もし私に画力があってSNSの使い方に熟知してたら、コメディ風に4コマ漫画でも描いてTwitterとかで流していたかもしれません。

その元上司は結局、「俺ってすごい」が会社に認められることなく、降格後、隅に隅に追いやられて最後は自分のフィールドでないところで早期退職金を受け取って会社を去りました。

そして今月。本来のフィールドに戻りました、と転職先から連絡が来ました。転職先も結構な知名度があるところです。そんなメールをウチの会社のメンバーに送りまくっていたのです。ウチで冷や飯食い的な扱いを受けていたことに対するちょっとした意趣返しもあるのかもしれません。行間からにじみ出る「俺ってすごい」が相変わらずだなぁ、と苦笑しながら、この「俺ってすごい」はつくづく必要なスキルだなぁ、と改めて思ったのです。

自己肯定感という言葉を意識しだしたのはこの数年のことですが、10年以上の前のこの元上司は自己肯定感の塊でした。誰に何を言われようと「俺はすごい」「俺のすごさがわからない周囲がダメ」常時そんな感じ。(実際、適材適所が出来ない会社の問題もあったのですが、そもそもこの元上司の適所がウチの会社にはなかった。)この10年で社会の状況も会社が置かれている環境も大きく変化する中、他人にどうみられようと「高い自己肯定感」を持ち続けるのは重要なことだと思います。周囲からの見られ方なんて相対的なもの。不都合な真実(他人からどう見られているか)は目を背ければいい。重要なのは「俺ってすごい」という真実であり当人にとっての事実。このゆるぎない自己肯定感がある限り、心身の、少なくとも心の健康は持ち続けられるのではないでしょうか。これが自分を常にポジティブに捉えることになり、レジリエンスに繋がる。ある意味、最強のサバイバル術ですよね。これからの不確実な時代の。

正直学ぶところは反面教師的な部分しかなかった(毒舌ですみません)元上司ですが、高い自己肯定感の必要性も学ばせてもらいました。私は内省系ではありますし、自己嫌悪も内省も自分を成長させるファクターだと思っています。けれど、自分を消耗させる自己嫌悪や内省は強制終了させたいと思います。そして、落ち着いて振り返れる頃にまたそのポイントに戻って来よう。高い自己肯定感をどうやったら獲得出来るかわかりませんが、内省と自己肯定のいいバランスを意識しながら、日々過ごして行こうと思いますね。

 

写真はある日のお弁当です。…美味しそうですか?美味しかったです。朝からこんな凝ったお弁当を作れる私ってすごい! 

…ってことですかね、自己肯定感…。

 

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